No.Diary

ナンバーダイアリー。数字を基点に自分の世界の整理をするブログ。 written by tomorinne [all art work:Ayane Saito ]

ブラインド-blind- [44のパズル]

しあわせ ふしあわせという概念の崩壊。

デフォルトとは何なのか?

 

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「44のパズル/ブラインド」

 

しあわせっていうことばを あまりよく考えないまま "いいこと" としていつだって使ってきたけど、それはほんとにそうだろうかって最近考えることが多い。しあわせって概念は、ふしあわせがあって成立する。じゃあ、しあわせって概念が在る事自体がじつはおかしいんじゃないかって思ったりする。あたりまえにあたりまえであることをしあわせって私たちは言ってる。でもそれって、しあわせっていうんじゃなくて、あたりまえのはずなんじゃないのかっていう。つまりデフォルトにしあわせのはずなのに、ものすごい努力して労力をかけ犠牲をはらってふしあわせに向かう。ほんとにしあわせになりたいなら、ただその努力をやめるだけでよくて、はらっている犠牲って何かというとただ自分を殺しつづけることでしかない。自分を殺しながらしあわせになれるはずなくて、もしもそれでしあわせになったつもりでいても、そこにいるのは自分じゃないんじゃないかって。デフォルトって、努力して戻るものじゃない。デフォルトから無理して外れるためにやってきた全てをやめるだけで、わたしたちは望んでいた「しあわせ」な状態になるんじゃないか。

 

模索したり頑張ったり葛藤することをまるでいいことのように思っているそれは 一体どこからきてるんだろうと思う。自覚していなくても、いいわけのように使ってしまうのは、模索や努力や葛藤って呼ばれるものなんじゃないかとおもう。葛藤が何故起きるのかは、本来値から外れていってるからなんじゃないかって。そのデフォルトがどんなものだったか思い出すために、もしかしたらはじめはそこから離れようとしたのかもしれないけれど。それは楽しみであったはずで。そこに溺れてしまっては なにしに初期値から離れたかすらわからなくなる。何故それを知りたかったかって、きっと知ることによって発見してみたいことや自分にとって新しい気付きという好奇心に従おうとしたんだろうし。人それぞれにちがうその発見が、きっと世界をあたらしくしていくんだろう。しあわせになることがゴールじゃない。だってひとはしあわせなんだから。それは初期値でしかない。デフォルトでしかない。溺れるために目隠しをしているなら、もう外せよっておもう。目隠ししてたら、わざわざ初期値から離れて違いを計測しにきたのに、そのデータ収集すらまともにできない。わたしたちはしあわせになるために生まれてなんかいない。最初からずっとしあわせだし、そのしあわせから離れてたって結局いつだってしあわせだ。ふしあわせであることなんて一瞬たりともない。

 

ただ目隠しを外したら、わたしたちには今何が見えるのかな。人の数だけ、見えるものがあって、その発見によって、わたしたちは進化できる。それは強烈に好奇心を刺激して、それぞれがそれぞれに求めてた何かを満たすものなんじゃないかとおもう。もし満たされないなら、また次の瞬間違う発見をすればいい。まあ そうやって思い切れないのも人間らしさなんだろうけど、きっと今の自分は足のつく浅いプールで溺れたふりをしている滑稽さだろうなってふと思うことがあります。