No.Diary

ナンバーダイアリー。数字を基点に自分の世界の整理をするブログ。 written by tomorinne [all art work:Ayane Saito ]

#1111「安堵」 [#111111-黒の海を泳ぎはじめる]

安直なやさしさや、よりそいよりも。

 

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#1111 「安堵」 / #111111-黒の海を泳ぎはじめる 

 

 

そこにある って何なんだろうといつも思う。確かにそこにあると知っているのに、あってはいけないと思っているなにか。いけないものだと思っているから、いつでも曖昧にポジティブなフリをしてしまう。覚えたてのギャグをかまして楽しいとわかる安直な時間を構築してみせながら。

 

たったひとりでいるときは、たったひとりでも生きるつもりでいるときは、それは自分の唯一の救いであり唯一揺らがず寄り添いつづけてくれるもの。私自身をいつでもやさしく包むもの。

 

誰かと生きたいと思う瞬間、突然その唯一のやすらぎは「悪しきもの」のように罪悪感とともに存在を隠したくなる。「いやいや私はそんなものもってないんだよ、うん、もっていないんだ」って慌てながら。「だからお願い、いっしょに生きて?そしたらいっしょに生きられるでしょ?ね?ね??だって周り見てたらそんなふうに見えるもん!ね??それが誰かと生きるってことなんでしょ?」って、必死に取り繕う安さに辟易しながら、それでも「誰かと生きたい」という欲求の叶え方はチープな手法しか知らず、ペラペラの安さで自分を売り込むことをやめられない。

 

売り込みながら、自分の安さに辟易しているそれが滲み出ないはずもなく。

 

相手はきっと、自分がそんな顔をさせてしまっているのだろうかと思うか、あるいはズレを不協和音に感じるんだろう。それを私自身も感じ取りながら、チープなループをとめられない自己嫌悪にハマっていくことがしばしばあるし、その時間を経たあとに、自分自身のその安っぽさをどうにか取り繕いたくていつも焦りながら過ごしていく。

 

 

誰かと生きることは、あの安らぎと共にはないんだろうか。いつからそれをダメなことにしたんだろう。いつからそれをネガティブなもののように隠さなければいけないとしたんだろう。

 

癒やされるってよく言われるそれは、わたしが隠そうとする「安らぎ」のもつちから。それはある意味では「死」と言い換えても差し支えなくて、だからこそ隠したくて堪らない。死にはさまざまな思い込みがつきまとっていて、その思い込みに怯えてる。でもそれは後ろ暗い何かや、腐臭のするようなものではなく、ただただ純粋な安らぎがほんとはそこにある。そこにあると知っているのに、誰かにみつからないように、わたしはいつでも隠そうとしてる。

 

いつか隠さずいられるだろうか。誰かと共に生きながら。安直なやさしさや、よりそいよりも、その深い安らぎの純粋さをそのまま持ちながら。