No.Diary

ナンバーダイアリー。数字を基点に自分の世界の整理をするブログ。 written by tomorinne [all art work:Ayane Saito ]

#111111「玄」 [#111111-黒の海を泳ぎはじめる]

純化

 

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#111111「玄」 / #111111-黒の海を泳ぎはじめる

 

 

私はいつも「私たち」という曖昧な概念に揺らいでる。

あなたと私の境界線がわからない。

あなたたちと私の違いはどこに?

だからあなたの言う「私たち」を探して私を見失う。

 

「あなた」と言い表す誰かが増えれば増えるほど、

「私」は「私たち」のなかで消えていく。

 

誰かの抱く「私たち」は幻想だ。

私が受け取ろうとしている「私たち」も、「繋がり」も、なにもかも幻想でしかない。

 

幻想のなかで死ぬことは、

一度も生まれなかったのと同じこと。

生まれもせずに、幻想の死をくり返し繰り返しループし続ける。

 

真実だと思い込んで来た幻想が崩壊する衝撃や恐怖があったとしても、

生まれ出ることは、はじめて真実の死を選べるということ。

 

真実の死は幻想の世界の死ではない。

ネガティブなものでも恐ろしいものでもない。

「生きた」ということだ。

 

私は、生きなければ。生きたいんだ。

幻想の「私たち」の「繋がり」を守って、幻想の死を選んではいけない。そこには何もないから。何も。本当に何もない。壊れ続けていく世界を幻想の中で見るのか、幻想の外へ出ることを選んで、生きることを選択するのか。

 

同じ死ぬのなら、

生きて、死にたい。

 

生きもせず、死にもせず、生まれもしない。

 

そんな終わりなき絶望の幻想はもう終えるんだ。

 

 

 

家族という概念も、先祖という概念も、何もかも幻想。幻想だと認めることは本当に困難だけれど、そんな「私たち」の「繋がり」は幻想でしかない。愛着は執着に変わり、感謝や恩は、怨念に変わる。幻想に縛られる誰もが、本当は自由を願い、「私たち」みんなの幸せを祈ってる。その願いを、祈りを、私たちは幻想のなかでその世界を維持するために互いの首を絞め合い続けることで昇華していると思い込んでる。

 

 

「私たち」という「繋がり」を信じるからこそ、その首を絞める行為すらも愛なのだと、受け入れなければならないのだと思って何周も何十周もループしてきてる。

 

 

でも、もう終わっていいんだよ、終わりなき絶望は。終えていい。

 

 

 

幻想が崩壊するのを直視することに怯えるのは、

私というのがいつまでも「私たち」だと思っているからだ。

 

 

私は、私だ。

 

 

 

そして、私が私にならなければ、

誰との繋がりも本当はないんだよ。

 

 

私が私であるからこそ、

私はあなたと「私たち」になれる。